No.2 良いものが教えてくれること
江ノ島の見える友達のキッチンで
コーヒーをいれてもらっている時、
その友達の
自然な手の動きの美しさに
見とれたことがあります。
彼女は、横浜の丘の上にある高校に
通っていた時、隣に座った学友で、
こういう洋服が欲しいと説明すると、
私がその洋服を着ている
完璧なスケッチを
描いてくれました。
その高校からは異例に
東京芸大に行き
今では画家先生。
画家という職業と
彼女の何ともいえない優雅な手の動きが
結びつかないまま、
何かの拍子にあの時の光景を
思い出すことがあります。
話は今に戻り、
年末のロンドン旅行から帰ってきた我が家では
午後の紅茶の時間が流行っています。
ハロッズで記念に買った
Oriente Italianoという名の紅茶茶碗を
“壊したら怖い”と敬遠するハニー。
“これで飲むとおいしいからこれにして”と
リクエストする息子。
帰国以来、このお茶碗さんは
大忙しです。
そして、この茶碗を前にすると、
息子は背筋を伸ばして紅茶を飲み、
ハニーは、とても丁寧な手つきで
大事そうに飲み終わった茶碗を洗います。
いつもの息子とハニーはどこへ行ったことやら。
本当によい物って、ただ美しいばかりでなく、
私たちの無言の先生でもあるのですね。
ここでいう“良いもの”とは、
値段の問題ではなく、
作った人や
使ってきた人たちの心が感じられるもの、
なのかな。
前述の友の美しい手の動きは
そんな“良いもの”に
はぐくまれ、できたのかなと、
イギリスから来た紅茶茶碗を洗いながら
ふと考えました。
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