No.140 「美女」という言葉の今
(東海道線に乗って真鶴の海辺に
魚介類を食べに行こうとしている我が家族。
今日のタイトルとは関係ありません(笑)。)
1か月の旅から家に戻り、
荷解きやら、掃除やら、
仕事やら、食料品の補給、お礼のメッセージなどで
あっという間の5日間。
こちらは、暑い暑いといっても27度から29度ぐらい。
空気も乾燥していて過ごしやすく。。。
さて、鳥の鳴き声をバックグラウンドミュージックに朝ごはんの野菜スープを食べながら、
ちらりと目にしたニューヨークタイムズ誌の記事は
こんな衝撃的なタイトルでした。。。
「劣性の人や、ホモやレズビアン、障害のある人々を差別することは、ユダヤ人大虐殺をしたドイツのナチスと同じ輩だ。」と。
そして、
次の日、友達の口からきいたのはこんな言葉。。。
「あのね、どう思う輝美ちゃん。。。、
『美女』という言葉は今、差別用語で、
そのようなことを前面に出したなら
イマドキのニューヨークの街では淘汰される風潮にあるんですってよ。」と。
『美女』の反対を『醜女』、としたら、
つまり美女という言葉をかかげる人や団体は、
前述のナチスと同輩~、という話につながるということか。。。
何と飛躍した解釈!と一瞬思ったが。。。考えてみれば
ここ半年ほどで「何々ハラスメント」で吊るしあげられた超有名人はアメリカでは数多く
人権保護の風潮が高まる中
これがニューヨークの知識人たちはもとより多くの昨今のアメリカ人の認識で、
女性に優劣をつける「美女」などという言葉を気軽に口にしては
人格を誤解される可能性がある、ということを学んだ、
。。。のがこの数日間。
そこで、美しい女、『美女』という言葉に思いを馳せてみる。。。
すると思い出されたある一枚の写真は、
インド在住の友達がFBに載せていた
澄んだ瞳の笑顔の、町中にゆったりと座ったインド人のお母さんの写真。
5歳ぐらいの息子を横にカメラに向かった眼差しはやさしく愛に溢れ、キラキラと印象的で
しばらく携帯の待ち受け画像にしたほどだ。
わたしは、『美女』の反対が『醜女』で、ナチスにつながる差別用語だとは全く思わない。
美しい女とは、
少女からおばあちゃんまで、
顔の造形や、体の造形いぜんに、
どんな形でもプラスのエネルギーを発する女、
のことだ。
自戒を込めて書いておくが、
美しい女であるためには、
心が健康であり、放つ空気に調和がとれている必要がある。
ありがたいことに、私の周りにはそんな見習うべき美女が多い。
今回日本滞在中に、ある化粧品を百貨店に入っている化粧品売り場で買ったときのこと、
この化粧品会社、まったく新しいコンセプトの新会社なのだが、
そこの美容部員さんたちは、
いわゆる従来のモデルのようにキレイ、でなく
私たちアラフィフ世代の、こういっては失礼なのかもしれないが、
町でよく見かける感じの、しかし溌剌としたエネルギーを放つ笑顔の素敵な美容部員さんたちで、
ああ、これが最新のトレンドなのかなと納得したのも思い出し。。。
さて、さて。。。
美醜のとらえ方や、使ってよい言葉と悪い言葉、モノの売り出し方が時代とともに変わるのは
いたしかたないこと。。。そこは受け入れるとしよう。
最後に、この夏読んだ白洲正子の本からの引用を。。。
「美」というものはたった一つしかなく、いつでも新しくいつでも古いものです。
その「つねなるもの」は、しかし大きくも小さくもなります。。。云々。
さて、「美女」という言葉を聞いたら、あなたは今、どんな女性を思い浮かべますか?
(2017年夏、ボストン美術館より)
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